富木の偉人「土井忠兵衛追悼法要」&「落語会」

2017年12月03日

千原騒動の指導者土井忠兵衛さん追悼法要と、楷定寺初の落語会。

 

新年の法要と落語会の日程が決まりました!

日時:平成30年1月9日(火)午後1時から
「土井忠兵衛追悼法要」

引き続き午後2時位から
「楷定寺落語会」出演:桂佐ん吉
天明の飢饉に、村人を救うべく、死を覚悟でお上に直訴し投獄された富木の偉人、土井忠兵衛氏の追悼法要。 これまで楷定寺の世話人だけで毎年勤めて参りましたが、来年から一般に公開し、土井忠兵衛氏の遺徳を語り継ぐべく、法要とその偉業の解説を北口秋雄氏が行います。
その後、落語家の桂佐ん吉さんをゲストに、楷定寺落語会を開催します。入場無料。どなたでもおこしください。(法要での懇志をお願いしています)
どちらも、楷定寺の世話人(檀家総代さんら)が主導して準備してくださっています。新しい一年の始まりに、お寺でも新しい催しの開催です。ご近所お誘い合わせの上、お参りください。

【参考】

土井忠兵衛


没年:天明4.2.8(1784.3.28)

生年:生年不詳

天明2(1782)年の泉州千原騒動の首謀者のひとり。和泉国大鳥郡富木村(大阪府高石市)の生まれ。天明2年7月、凶作のために年貢減免を求めて新家村勘七、土生村了意らと協議して一橋領地の村々に集会を呼びかけて決起し、同領の掛屋を兼ねていた千原村庄屋川上左助宅を打ちこわしたが、8月堺奉行に捕らえられた。翌3年9月遠島処分を受け、4年4月に遠島される予定であったが、その前に大坂入牢中に死去した。楷定寺の過去帳によると遺骸は村に帰らなかったと伝える。明治37(1904)年、村人によって建碑され、法要が営まれた。

<参考文献>森杉夫「千原騒動について」(『高石市郷土史研究紀要』4,5号)

 


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